生命と身体

形式的な生命とは

理論上で、生命というものを一義的に定義することができない(現状、できていない)。少なくとも、生命を「物自体」(Kant)としては認識することが出来ない。ここで議論できるのは「現象」としての生命だけである。人は人の都合に応じた、ただ「生」と「死」に関して、観察、経験される現象を通して、ある場合にはそこに「生命がある」とか、またある場合にはそこに「生命がない」と判断している、或いは信じているに過ぎない。

人間の生命の分節的構造

A : 宗教 : 人間学的分節構造
B : 社会 : 生物学的分節構造

AとBの重なり合った部分が「人間の生命」と呼ぶべき部分。

Aに関して

[不滅]
↑霊的(存在) … 神、天使、(悪魔)
 人間(存在) … 精神、身体
↓物質的(存在) … 有機体、無機体
[可滅]

Bに関して

[孤立的]
↑個体的(存在) … 脳
 人間(存在) … 我々
↓社会的(存在) … 宗教、国家、人類、自然
[関係的]

いずれの分節においても、事態を「我」と捉えるか「我々」と捉えるかの方向の違いで、見方は随分変わってくる。また、「個体」というものの根拠も捉えがたい。これは、どこまでがひとつの個体であるかを区分けする確かな境界が定義できないことに所以する。

形式的定義

生命の定義をする、或いは、生命というものに形式的な定義を与える、とは、即ち、具体的な個々の生命の現れの全てを還元した上で、なお論理的に必当然的(apodiktisch)であるかのような某かの定義を与えておくという意味である。

ここで議論できるのは「現象」としての生命だけである。「現象」とは、一般的に、事象を経験する者(主体)に内属する一定の形式(空間、時間)の下に統一された感覚の多様のことである。この際、当の経験をする者が、まず「自己」としての自分自身に現象していなければならない。つまり、主体はまずもって常に「自己」であるもの、自己性を備えたものでなければならない。そのような「自己」の現れの根源にあるものが「生命」である。

ここで、生命とは、次のように形式的定義を与えることが出来る。

生命は自己性の存続である

自然科学・哲学系メモ


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Last-modified: 2010-05-15 (土) 12:08:19 (2746d)