あらゆる事柄は、論理的演繹法によって論ずることが出来る、とするもの。
前提、もしくは仮定(自明なこと、証明しなくても真として受け入れられること)と、そこから導かれる推論(そう推論する規則)という流れによる説明方法。
典型的なのは、ソクラテスの三段論法。
1.人間は必ず死ぬ 2.ソクラテスは人間である 3.ソクラテスは必ず死ぬ
1が成立する。かつ、2が成立する。
ならば
3が成立する。
1と2は前提。そして自明。であるなら、そこから3が推論されるのは妥当であろう、という導出。「もしすべてのXがYであり、かつ、ZがXであるならば、XはYである」という規則が発動している。
たとえ真の状態が存在する、と仮定しても、 その事実を、全て論理的演繹法によって証明することは不可能である。
自分たち(私たち)が「知っている」事柄について承知はしているが、感じている事柄については、論理的演繹法によって説明することは絶対に出来ない。論理的演繹法では、全てを証明する方法としては不足であるという主張。