古代自然観 †紀元前の学問(哲学)の基盤は、プラトンの「イデア論」と、生物の研究だった。 哲学の流れ ソクラテス → プラトン →アリストテレス イデア論 †事物の原因、原理の基礎に、一定不変、完全、調和、秩序があるとして、そのような理性で認識されるものを「イデア」と呼んだ。全ての実在は、このイデアの上にあるとする。これをイデア論とう。プラトン(B.C.427-347;古代ギリシャ)が提唱した。 個々の事物 → 感覚で理解できるもの ↑ ↓ イデア 上への矢印は「コピー」 下への矢印は、理性(幾何学)で導くもの とする アリストテレスの自然観 †アリストテレスの生物学 †アリストテレスの生物区分は、専らその外形(姿形)を分類することであった。その立場から、アリストテレスは、全ての動物は520種類以上に分類できる、とした。 アリストテレスの分類 動物 - 有血 - 胎生 - 卵生 - 無血 - 完全卵 - 蛆生 - 生殖粘液 - 自然発生 アリストテレスの自然の階段 ヒト 胎生四足類 哺乳類 鯨類 卵生類 鳥類、爬虫類 など 軟体類 頭足類 : アリストテレスの宇宙論 †宇宙 - 天上界 → 一定不変(完全) - 月下界 → 生成消滅(不完全)… 常に変化する アリストテレスの考える宇宙全体は、「恒星球」と呼ばれる球体の内部(中心)に地球があり、その地球の周囲を月が公転しているモデル。その月より外側を「天上界」と呼び、月より内側を「月下界」と呼んだ。 月下界の事物 物体の本性 - 質料因 - 形相因 変化の原因 - 目的因 - 作用因 物体には材料があり(質料因)形があり(形相因)、それはある目的をもって形成され(目的因)それを形成するために作用するものがある(作用因)。 アリストテレスの四元素説 †アリストテレスは、全ての物体は、火、土、水、空気の4つの要素(元素)からなると考えた。 アリストテレスの運動論 †運動 - 自然運動 : 物体固有の位置に戻る運動 - 強制運動 : 外からの作用による運動 アリストテレスは、物体の運動は、自然運動と強制運動の2つにわけられると考えた。 中世の運動論 †古代ギリシアの世界観 †古代ギリシアにおいて科学と呼ばれる分野はなく、学問の中心は哲学であり、それすなわち世界観を示す宇宙論であった。 古代バビロニア文明(旧約聖書)における人々は、中心は自分たちの住む大陸であり、世界の涯には高い山(アラット山)があり、それが世界を取り巻いていると考えた。天空はその山の上にのる形になっているとして、太陽は、その天空を横切り、地下に潜って東から昇ると考えた。(タレス:B.C.624-546 の哲学) その後、エラトステネスがB.C.265頃に、地球の半径を測定したとされている。このことから、当時既に地球が球体であるという考え方が一般化し始めていたことがわかる。その後、アリストテレスが自らの運動論を提唱する。 アリストテレスの宇宙は「九天説」と呼ばれ、地球を中心に、月、水星、金星、火星、木星、土星という並びで公転しており、その外には2重の「恒星天」が取り巻いているとし、その恒星天の外側は「無」であるとしている。
九天説は、調和のとれた宇宙、地球中心、空間の有限性という考え方がその特徴といえる。地球は自転しておらず、天球が地球の周囲を公転する、とされたが、その理由として、地球が自転したらそれと逆方向に強い風が吹くはずである、また、回転による遠心力で地球上のものが飛ばされる、とされた。 その後、ギリシア天文学は、アレキサンドリアのプトレマイオス(A.D.70-147)によってキリスト教の教義と結合し、西欧中世の世界観として定着していくことになる。 天動説の否定 †哲学者アリスタルコス(B.C.310頃-230頃)は、既に天動説に異を唱えており、地球の方が動いているとする「地動説」を採っていた。地動説では、宇宙の中心に太陽が静止しており、その周囲を、地球を含む天体が回転している、と考える。ただ、この地動説は、当時の強力な宗教的抑圧により排除されていたと思われる。地動説が再び注目されたのは、12〜13世紀のルネッサンス期にコペルニクス(1437-1543;ポーランド)が同説を提唱したときである。 コペルニクスは、アリストテレス、プトレマイオスの天動説では、惑星の位置にわずかな計算のずれが生じることを指摘した(天動説の方法で惑星位置を計算すると、その計算が実際と合わない)。また、太陽中心の地動説であれば、モデルが極めて単純化し、計算も観測とよく合うとした。
同じ頃、ティコ・ブラーエ(1546-1601;デンマーク)は、基本的に天動説を採りながらも、水星と金星だけは太陽の周りを回っているという説を唱えていた。 参考:
この頃から、キリスト教思想が崩壊し始める。 |