スーパーさん

とあるスーパーマーケットの娘が、ある日突然スーパーマン(スーパーガール)になった。人呼んで“スーパーさん”。さて、スーパーガールになったものの、一体何をしていいのやら。

考察

平凡な一般市民がいきなり“超人”の力を得たとしたら?そんな“もしも”を作品にしたものの一つ。中でも“スーパーマン”という素材を用いた作品を、藤子F氏はいくつか描いている。有名なもので『パーマン』、左江内氏シリーズなど。これらの作品を見ると、藤子F氏が素朴に疑問に感じていただろうことも感じられはしないだろうか?つまり、仮に平凡な人間が突然“超人”になったところで、果たしてクラーク・ケントのようなスーパーヒーローになれるものか、ということ。では作品を見ていこう。まず初っぱな。娘がスーパーガールになったことに対して、親はまず嘆いている。これは楽しい。現実には、スーパーマン=素晴らしい、とはいかないものであることを、この両親は良く心得ている。「スーパーマンてのはお金がもうかるのかね」、正義の味方がそんなことを考えるもんじゃない、そんな力を持ったところで、正義の味方でなければ、正反対に手の着けられない悪玉になりかねないわけだ。現実的には実につまらない話である。

では、正義の味方になって、一体何をすれば良いのか?諸悪の根元をやっつける、そんなものがはっきり分かれば警察も苦労はないわけである。これを探し出すのが一苦労。とにかく、“スーパーさん”としてやっつける悪が見つからない。とりあえず、それを探すのに右往左往する。その透視能力で悪を探す。張り込みやってる刑事などにこの能力が有れば実に好都合なのだが、力を与えられたのはスーパーの娘。透視能力で見られるものといえば、人のフトコロを覗くくらいか。札束満タンのカバンをもったおじさんを発見。これは護衛せねばなるまい。しかしこの人、異様にスーパーマンを嫌っている様子。この時点で何か怪しいのだが、何しろ当のスーパーさんは刑事でもなければ探偵でもないスーパーの娘である。そんな鼻が利くはずもなく。怪しむ反対にお節介するわけだが、当人は大迷惑。このちぐはぐな展開で笑いを誘うあたりは藤子Fギャグの冴えである。そして、相手が偽札作りの犯人だと判明したところで、結果的に悪を叩いたこととなった。やれやれ、とりあえずめでたしめでたしである。

ところで、最後のオチ。意図して最初からこのオチに繋がるキャラにしていたのか、無理矢理ギャグで落としたのか、はたまた赤塚氏のチャチャが入ったのか、意味するところはちょっと不明。

収録

2000年7月現在

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