間引き
増え続ける人口。増産が間に合わず不足する食糧。人類はかつてない人口爆発の問題を抱えてしまった。そんな中、コインロッカーに生まれたばかりの赤ん坊を置き去りにするという事件が多発している。世の中も簡単に血を見るようになり、人が死ぬことも日常的になっている感がある。これは、一つの社会現象として見過ごされるべきものなのだろうか。
考察
「近頃は理由にもならんことで簡単に血を見るからね‥‥」殺人事件が起きた現場で、刑事がそう漏らす。これが、妙にうなずけるからかえって怖い。近年、本当に、それが人が死ぬ理由か?と思えるようなことで、相次いで死人が出ている。この作品は、それを社会全体の大きな流れ、という観点から斬ってあるので、ある意味哲学的で興味深い。
「間引き」というのは、一般には、農作物などを育てる際、あまり密集すると栄養が十分に行き渡らないので、あえてデキの悪そうなものを取り除いて残った作物の発育を促進させるという行為を指すが、生まれたばかりの子を養えない為に、あえて親が殺す、という使い方もされる。この作品のタイトルは、この二つの意味をかけて風刺しているのだろう。
主人公はコインロッカーの管理人。出勤時に妻に素っ気ない態度で送り出される。夫婦の愛情など、ここにはみじんも見ることはできない。初っぱなから何か乾いた印象を伺わせられる。ここで、後の展開の伏線となるキーワードがいくつかある。弁当を求める亭主に対して妻「あんたって大食いね」、妻の態度に憤る主人公だが「腹立てるとよけいに腹がすく」、満員電車で主人公「きのうよりまた人口が増えたみたいだ」、感の良い方なら、タイトルと重ね合わせて、この後の大体のストーリーも想像できるだろう。
コインロッカーに新聞記者が一人訪ねてくる。最近、赤ん坊をコインロッカーに捨てるという事件が多発、彼はその取材に来たという。ここでは、親が子供に対する愛情を失ってきているという事実が浮き彫りになっている。あげくに、そのコインロッカーで殺人事件が発生。人を人とも思わないような世の中になりつつあるということだろうか。
ここで、訪ねてきた新聞記者が、ある仮説を提起している。「これは、大自然が人類にさしのべている救いの手ではないか」と。鍵は「人口爆発」。つまり、人口ばかり増えすぎて、食料がそれに追いついていないという現実がある。このままでは、人類は滅亡に向かうしかない。つまり、何か大きな力によって、人間の「間引き」が行われているのではないかというのである。
これは、動物の例でも見られる話で、作品の中では、鹿の天敵がいなくなったために、鹿は爆発的に増え、その末に食糧不足で全滅した例や、レミングの死の行進の例などがあげられている。つまり、大きな自然界では、生物の個体数は自然に調節されているということだ。
ミクロ的に、生体内では「アポトーシス」という「能動的な細胞死」現象が見られる。私たちの体を構成する細胞は常に新陳代謝によって入れ替わっている。古い細胞は死に、新たな細胞に置き換わるわけだ。胎児の手のひらには水掻きのようなモノがある。しかし、この水掻きは母の胎内から生まれ出るまでに消えてなくなる。これは、不要な細胞は自ら消滅する、というアポトーシスの好例だろう。もしかしたら、この地球上でも、どうような「調節」が行われているだろうと考えられないことはないのだ。
近年、愛情というものが極めて薄弱なものになりつつある、という記者のセリフにも納得してしまう。これは、かつてのように、人間という立場が宗教的にも絶対位にある、という基板がすっかりなくなっていることも、少なからず起因しているのではないだろうか。人間も生物の一種、ともすれば、物体の一種という見方が、近年、さらに強まってきているように感じられる。愛情も、所詮、その生物種を存続させるための機能の一つ、ということになれば、それが人類存続に危機をもたらしている以上は、既に不要なもの‥‥人口は、今や50億を超え、60億に手が届かんばかりの局面を迎えている。ここで人類のとるべき道は、愛情を捨て、合理性を目指すことなのだろうか。「衣食足りて礼節を知る」。人間は、やはり最後まで人間らしくあって欲しいものである。
収録
- 小学館 小学館文庫 異色短編集1
- 小学館 小学館叢書 異色短編集1
- 小学館 ゴールデンコミックス 異色短編集1 (絶版)
- 小学館 藤子・F・不二雄SF短編PERFECT版2
- 中央公論社 愛蔵版SF全短篇1 「カンビュセスの籤」 (絶版)
2000年9月現在
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