カイケツ小池さん
正義感だけは人一倍強い小池さん。世間への不満を投書で晴らし、テレビ番組にはテレビ局に電話で講義する。
しかし、その信念を通すだけの力がないことを嘆く日々。そんな小池さんが、ある日、スーパーマンになった。
考察
凡人が突然スーパーマンになった、という筋書きの裏バージョン。
実際、スーパーマンの力を得たときの人間の行動を考えると、こちらの可能性の方が大きいと思われるのだが。
このリメイク版のような感じで『ウルトラスーパーデラックスマン』という作品も存在する。
本編の小池さん、過敏なまでに正義感溢れるサラリーマンである。
正義感だけはあるが、実際に悪を見てもそれに立ち向かうだけの力がない。
結局我慢をするか見て見ぬ振りをするか。社会にできる抵抗といえば、新聞への投書をするくらい。
実際ここまでの人はあまりいないかもしれないが、悪に対して何もできない社会の多くの人間をデフォルメしたもの、
ともいえなくもない。それは悪いことだと知りながら、言うだけで実際は何もしない(できない)。そんな自分を正当化して生きている、という指摘は、多くの人の心に痛いところではないだろうか。
では、本当にそんな悪に立ち向かっていけるだけの力を得たとしたら。
現実は、スーパーヒーロードラマや漫画のようにはいかないものである(これも漫画だが)。
人間の心には、常に善悪の二者が共存し葛藤しているものである。
このバランスをとっているのは理性という天秤だ。人間の本性は、常に自己の利益にある。
大抵これは、自己以外にとっては“悪”になるわけだが、理性は、ある程度の悪を許容するものの、
人にとっての悪とならないように制御しているのだ。何故そんなことができるのか。
それは、しなければならないから。そのルールを守らないと、
今度は自分が、何らかの形で制裁されることを知っているからである。スーパーマンになる、
ということは、他に制裁されることがなくなる、ということでもある。
自分が最強なのだから。本編では、この顛末が実に如実に描かれている。
最初は悪を懲らしめる目的でその力を振るうのだが、ときに行き過ぎることもある。
最初は後悔もすれど、繰り返す度、次第にそれは、悪いことをする方が悪い、と思うようになる。
女性の裸を覗くことも、本人が迷惑でなければ良し。正当化である。
社会はみんながほぼ同じ力関係だから大きく乱れることもない。
もし、突出した力を持つ存在があるとするなら、それと対極をなす同等の力を持つ何かが必要、
そう考えることもできる。ウルトラマンがいれば、戦う怪獣もちゃんといる(逆か?)。
一人だけスーパーマンになって、いつまでも正義の味方でいられる人間が、
この社会に果たしてどれだけいるだろうか。
収録
- 小学館 藤子・F・不二雄SF短編PERFECT版1
2000年7月現在
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