じじぬき
老人を煙たがり隅に追いやる現代家庭の傾向を見事に風刺した名作。
考察
最近の三世代同居家族では、実にありがちである。年寄りが家族の中で煙たがられる背景には、経済面、生活面、また、その人の人格に寄る部分も少なからずあるだろう。このストーリーのおじいさんは、性格的にも頑固の様子。そして、おばあさんの方が先に逝っているということで、おそらく全ての世話は嫁の仕事となっているのだろう。とかくおじいさんを毛嫌いしているのは嫁のようである。
ストーリーの最初では、このおじいさんが家族にいかに嫌われているかを描画している。わざとらしく食事の用意をしない、体のことを思ってといいながら、食費もタダじゃないんだといわんばかりの会話、老人ホーム時代を象徴するようなテレビ番組をわざと聞こえるようにボリュームを上げてみせる。とどめは、部屋から追い出してその部屋で勝手に振る舞う息子を擁護する家族の態度。最後まで自分を認めてくれているのが家族ではなく古い友人、というのは皮肉な話である。
そして、おじいさん死す。
ここから、死んだ人はいい人だった、という展開が始まる。思い出話に花が咲く。なぜ、死んだ人の思いで話は全て美しく感じられるのか。その人の悪い部分は忘れ去られ、良い思い出ばかりが次々に思い浮かぶ。そして、生きている間はそんなに思ってもなかった人でも、死んでみると悲しくなったりするのである。嫁の態度などはその典型だろう。それが人間というものなのだろうか。
さて、ここから“すこし・ふしぎ”が始まる。もともとこのおじいさんの死は、天国のおばあさんの申し出によるものだったらしい。そこで、悲しみに打ちひしがれる家族を前にしたおじいさんは、もう一度生き返りたいという。おそらく、一度死んだことで、家族も心を入れ替えただろう、という感もあってのことか。生き返ったその晩は、家族も沸き立った様子。ところが、時が経てば以前と何ら変わりない、やはり邪魔者扱いのおじいさん。そんなものである。このおじいさんは、最後に堪忍袋の緒が切れて、徹底的な悪役に変貌してしまう。が、実は生き返ったあとの話は、天国の戸籍係が見せた予見夢だった。どんな話でもそうだが、一度死んだ人間が生き返ってもろくなことにならないというのは定石である。人というのは、それがなくなってみてその愛おしさ、大切さを感じるもので、実際にそれが近くにあると、それがないときに感じていたものも感じなくなるものなのだ。人の場合も、死んでしまえば仏様ということか。本編では、年寄りは死んで初めてその愛おしさが感じられるもの、裏を返せば、死なないとその愛おしさを感じられないものなのか、という実状を改めて考えさせられる。
年寄りは大事にするもの、などという考え方は、もう時代遅れなのだろうか。しかし、誰でも必ず老いの時は来る、ということを忘れてはならない。
収録
- 小学館 ゴールデンコミックス SF短編集1 (絶版)
- 小学館 小学館文庫 異色短編集1
- 小学館 小学館叢書 異色短編集1
- 小学館 藤子・F・不二雄SF短編PERFECT版1
- 中央公論社 愛蔵版 SF全短篇1 「カンビュセスの籤」 (絶版)
2000年7月現在
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