気楽に殺ろうよ
性欲と食欲、ともに最も根元的な人間の欲望であり、どちらが欠けても地球人は滅亡する。この、どちらか一つを恥ずかしがらねばならないとすれば、果たしてどっちだろうか?今の人類が、地球全体で見た場合の必然性に必ずしも従っていないことに切り込んだ、社会発想の転換劇。
考察
おさまってみれば当たり前。今の常識で考えると異様とも思えることが、日常になってみると当然のことに感じられるということもあるのではないか。私たちが日常と思っていることは、実はもっとも頻繁に見られるというだけのことで、希にしか見られないことなると違和感を覚える。では、その希なことを日常にしてみよう、という発想が伺える作品。
本編を見てみる。主人公が朝目覚め、新聞を取りに行こうとしたそのとき、原因不明のショックに襲われる。どうもこれがきっかけで異世界へ迷い込んだ(というか、異世界に変化した)のだろう。その後、その世界では、食事という行為が恥ずかしいものだ、となっているらしいことが分かる。いきなりだと、何故?となるが、その後の医者の態度で何となく分かる方は分かるだろう。どうも、性欲と食欲の概念が逆転しているらしい。
その後、出勤しようとする主人公を異様な目で見つめる妻(お互いにか?)。逆転しているとすれば、休日が平日に、平日が休日になっているだろうことは察しがつく。主人公は違和感を感じながらも出勤しようとするが、途中の小池さんの家族を見ると、いつもより子供が増えている。なるほど、性欲の方がオープンなんだろうな、とは、ここからも分かるだろう。
出勤をやめ、家にいることにした主人公。そこで、なにやら権利の話を妻が持ち出してくる。何の権利かと思えば、なんと人を殺す権利というのである。ここではそのまま流されているので、後の展開を待つ。
娘に絵本を読んで聞かせることになった主人公。どうも『シンデレラ』らしい。ところがこのシンデレラ、最後に王子様と結婚してハッピーエンドになるのはいいが、その後の性行為のシーンまで生々しく絵本に描かれていた。これは何としたこと!仮にも子供が読む本に不潔なこと極まりない。と、思えば、娘は別段違和感を覚えるでもなく、妻に問いただしても当たり前の顔である。これで、性行為、或いは性欲というのが、まるで開けっぴろげという事実が明らかになったわけだ(その後の医者のセリフでそれを決定的にしている)。
これを常識と感じている医者の説得を聞いてみる。
「食欲と性欲‥‥ともに最も根源的な欲望ですな」 その通り。「どちらが欠けても地球人は滅びる」 ごもっとも。「ところで、このふたつのうちどっちかはずかしがらねばならんとすれば、はたしてどちらですかな。」 当然、私たちの感覚でいけば性欲となる。しかし、この世界では逆である。「食欲とは何か!?個体を維持するためのものである!個人的、閉鎖的、独善的、欲望といえますな。」 反論するとするなら、食欲は誰もが普遍的に持っている欲望であるから公共的ともいえるのだが。 「性欲とは何か!?種族の存続を目的とする欲望である。」 「公共的、社会的、発展的、性格を有しておるわけですな。」 である前に、実は自分の子孫を残す個人的な欲望、ともいえる。ここで見えてくることは、どちらも同じように基本的欲求であるにも関わらず、どちらか一方が閉鎖的になっているのは何故だろう、ということだろう。主人公は駅で茫然としているところ、一組のカップルが赤ん坊をゴミ箱へ捨てて、その場で新しいのをつくろうとしている。それを諭すお巡りさんも、スペアを作って保健所に届けろと、赤ん坊がイヌのごとき扱いだ。やれやれ、どうにでもなれだ。としたときに、目の前で突然人殺しである。しかも知り合いが奥さんに。挙げ句の果てに「主人がいつもお世話になっておりました。」 もう発狂寸前だ。そこへきて、殺人の権利書の話。ついに主人公キレる!
ここで、それを公認する立場の医者の話。おそらくここが本題である。
ここでは、社会が一つの巨大な生物に喩えられている。その生体にとって、それを構成する細胞の間に互いに殺し合いたがる程のトラブルを抱え込むことは良いことか、という。もちろん好ましいことではないだろう。個人的イザコザは個人的に解消した方が、と続ける。なるほど、それで殺人が公認されているということか。さらに、地球の容量を考えたら、今は成長期を過ぎたと見るべき、という。要するに、もう大人になって大きくならないような生物の状態にある、という話。後は代謝するのみ。しかし、自然死に比較して出生率は増加傾向。人口爆発が示唆されていることは、察しのいい読者なら理解できるかも知れない。つまり、自然死に頼らず、イザコザを解決する手段に乗じて殺人を公認すれば、人口は安定するだろう、ということか。
いわれてみると、この医者の言っていることは合理的である。性欲がオープンならおそらく出生率は高い。その分、殺人も認められる。ただし、減りすぎないように、殺人の権利書というものがあって、これは新しく子供を作ったらもらえる、というものであるらしい。なかなか社会的である。もし、このシステムが当たり前になったら、意外におさまりがいいかもしれない。
しかし実際に、人を殺す、ということを公認しないのは、人間には、それは最も避けるべきものだという暗黙の約束があるからである。人を殺しても良いということは、逆に、自分も公然と人に殺される危険性を孕むわけだ。これは、実際非常に恐ろしいことである。ちょっとでも相手の気に障ることをいえば、それが家族であっても下手すれば殺される。だから人は、私があなたを殺さないかわりに、あなたも私を殺さないで、という約束をしているのである。これは最も根源的な取引だ。
医者は、生命はなぜ尊重せねばならないか?と問うている。当然尊重せねばならないものとしてきた生命も、その理由を問われると、さて何だったか、と窮する。もし私なら、結局自分が生命だから尊重せねばならないのだ、と答える。相手が生命でなければ、例えば石ころやゴミなどの無機物は、さしあたって生命に関係ないので特に尊重する必要はない。これが生命に関わるものになってくると、とたんに尊重すべき、となる。そして、それがまさに生命である場合は、当然尊重される。もし、相手が蔑ろにされれば、自分がそうなる可能性もあるからである。人殺しが公認されない理由はそういうことだろう、と、私は考える。
改めて考えてみると、結構深い内容だ。ただトンチンカンなストーリーではなく、なぜそうなのか、ということを考えさせられる。普段当たり前と思っていることにも、ちゃんと理由があるのではないか。或いは、理由もないことを、私たちは当たり前と思ってはいないか。そういうことを、今一度自分自身に問い直してみるのも良いかも知れない。
最後にオチだが、おそらく解説するまでもなく分かるだろう。冒頭と同様なショックを受け、その後、妻が「おべんとう!!」と叫んでいるあたりで、もとの世界に戻ったことが伺える。さてさて、人殺しを決意した主人公の運命たるや。
収録
- 小学館 ゴールデンコミックス SF短編集3 (絶版)
- 小学館 小学館文庫 異色短編集2
- 小学館 小学館叢書 異色短編集2
- 小学館 藤子・F・不二雄SF短編PERFECT版1
- 中央公論社 愛蔵版 SF全短篇1 「カンビュセスの籤」(絶版)
2000年7月現在
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